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西宮神社(兵庫県西宮市)・西宮えびす神社

西宮神社(にしのみやじんじゃ・西宮戎神社)

古代の先進地であり良港でもあった津門神社より更に西に向かっていきます。

途中、菅原道真公の旧跡地でもある松原天神社を参拝しましたが、社務所を覗くと神職の方がお昼寝をされていたので起こすのも申し訳なく思い今回は断念。

更に西に西にと歩みを進め、ある種西宮でもっとも有名になっている神社であろう恵比須宮の総本社でもある西宮神社に至ります。

西宮市の社としては、恐らく旧官幣大社の廣田神社が歴史も古く、また一円での扱いも高いと思いますが、交通の便で勝り、また恵比須の総本社として10日戎でのマスコミ露出から、他の地域での知名度では勝ってしまっているのではないでしょうか。(あくまで個人的な感想ですが)

 

さて、その西宮神社ですが、創建年代などは明らかになっておりません。

鳴尾浜の漁師が海中から引き上げた神像を廣田神社の紆余曲折の上、廣田神社の浜南宮の地にお祀りしたところから始まっているようです。

書物上の記録も大治三年(1128)西宮南宮の歌合せの際や承安二年(1172)の廣田神社歌合せ等と廣田神社の歌合せに載っているものが確認できる古いもので、以降歴史を見るにあくまで廣田社の摂社もしくは末社として扱われている形跡が色濃く残っております。

ただ、13世紀辺りより南宮の記載が減っていき、西宮戎社や西宮大明神の記載が表に出るようになっており、この辺り(鎌倉時代)より南宮の勢いを凌ぎ戎神社がこの地の中心になって行ったのは見て取れます。

中世にはこの辺りの街道の往来に伴って商業の中心地になって恵比須神を中心として栄えていたという事なのでしょうか。

廣田神社の末社として廣田神社と共に、単独の戎社としても以降時代の有力者から数々の寄進を受け興隆を極めます。

明治に至り、廣田神社社家の吉井家分家を立て、廣田神社より独立、西宮戎神社として、また延喜式内社の大国主西神社が西宮神社の地に当たるとして、境内社を大国主西神社としそれを前面に出して県社昇格を望むなどを経ております。(後、西宮神社、大国主西神社とも県社となり、二社並立のまま終戦を迎え、大国主西神社は境内末社となっております)

西宮ばかりでなく、戎の総本社として全国より非常に大きな崇敬を受け今に至っております。

 

言わずもがなの戎の総本社で、日頃の参拝客もかなり多そうです。

大国主西神社の御朱印があるか伺ったのですが、どうもそちらは求める方が居らず、この辺り参拝される他の方からの要望は特になさそうです。

御朱印帳の販売もありますが、神仏霊場会の朱印帳のみの様なので、今回は購入しませんでした。

 

【社格】 県社

【御祭神】えびす大神

天照大神 大国主大神 須佐之男大神

今回頂いた御朱印です。

西宮神社

【所在地】兵庫県西宮市社家町1-17 →地図

【公式HP】http://nishinomiya-ebisu.com/index.html

記事記載神社:津門神社(兵庫県西宮市)

 

※末社 大国主西神社

【社格】 延喜式式内社論社 県社

【ご祭神】大己貴命 少彦名命


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津門神社(兵庫県西宮市)

津門神社(つとじんじゃ)

福の宮福應神社より西を目指し更に歩みを進めてまいります。

といっても地図上の西には目を引くものがなさそうなので、実際には北西方向にある津門を目指して行く事になるのですが。

 

津門という地も今津村同様に元々は津門村という自治体があり、今は西宮市になっておりますが町名に津門の名を冠した地域が広がっております。

現代では海岸線がかなり後退しておりここが”津”であったとは想像しがたいですが、古くは摂津の良港で津登、津奴、津門等が当てられる津であり、武庫の浦、武庫の港がこちらに当たるとも言われています。

日本書紀でアヤハトリ、クレハトリ等の織女が到達したと言われている武庫の港、それを示すようにこの地には津門綾羽町、津門呉羽町等の地名が残っており、またそれと共に伝承も残っています。

 

この津門神社自身も、その創祀に際して織媛とその職工達が渡来の神をその由緒地に勧請したという事になっております。

(その時代に関して頂いた御由緒では明らかではありませんが、仁徳天皇の時代か若しくはそれより少し後の時代になるのでしょうか、その際に勧請したのが密教で尊重されていた大日如来だったというのは些か疑問視されるところではありますが。)

後、延喜元年には菅原道真公大宰府左遷の際に白砂青松の景勝を愛でられ御休憩された地にあった小祠として存在し(菅原道真公ご休憩の地は現在社地より少し北西側にある松原の地であるとされており、その地には松原天満宮と織姫大明神(アヤハトリか?)をお祀りする喜多向神社が鎮座しております。)、その小祠が現在の津門神社の元になっているとされております。

現神域に遷座した時期は宝暦四年(1755年)で、この間にどういう曲折を経たのか、その時点の主祭神は毘沙門天神であったようです。

明治になり廃仏毀釈の事もあり、主祭神を天照皇大神とし(神仏習合上、大日如来=天照皇大神ですので、ご由緒で大日如来に触れていたのも併せ考えると、脇殿ででも祭祀が続いていたのか、若しくは古伝に従い祀りなおしたのでしょうか)、毘沙門天神を脇殿での祭祀にし今に続いているようです。

廃仏毀釈の逆風の中、仏法の守護神である毘沙門天を脇殿とはいえ祭祀し続けていた事からも、この地の方々にとってこの社が村の鎮守として大事にされていた事が伺えます。

 

こちらの神社、ご祭神に堂々と毘沙門天神と書いてあり、また八意思兼神を御祀りしている部分でやけに印象に残っております。

社域が東西に細長くさほど大きくない社ですが、何故か圧迫感を感じられない不思議な所でもあったんですが。

 

【社格】 不明

【御祭神】天照皇大神

毘沙門天神 八意思兼神

今回頂いた御朱印です。

津門神社  

【所在地】兵庫県西宮市津門西口町14-15 →地図

記事記載神社:福應神社(兵庫県西宮市)


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Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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