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湊川神社(兵庫県神戸市中央区)並びに楠公御墓所

湊川神社(みなとがわじんじゃ)

八宮神社より南に向かうと大楠公こと楠正成公などを御祀りする湊川神社が御座います。

 

戦前の教育を受けた方や太平記に触れた事がある方等には、この楠正成公に馴染みがあるのではないでしょうか。

NHKの大河ドラマ「太平記」でも武田鉄也がこの楠公を演じ、特にゲリラ戦に才を発揮する稀代の軍略家、武士として足利尊氏の行おうとする武家政治に理解を示す一方で自らを引き上げて信頼を寄せ続けていた御醍醐帝に最期まで従いその節を通すという忠君の士、そういう人物の魅力を伝えておりました。

 

この現在でも魅せられる方の多い楠公ですが、その生き方生き様に魅せられた人間は古来より存在し、大日本史編纂に際し再確認した水戸藩主徳川光圀公もその一人であったりします。

元禄五年(1692)、徳川光圀公は家臣の佐々介三郎宗淳(時代劇水戸黄門の助さんのモデル)を派遣し、大楠公の墓所との伝承があった同地に「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓碑を建立します。

後に幕末に至り水戸学等に影響を受けた憂国尊皇の志士達にとっての特別な地となり、この地に立ち寄り大楠公の業績と勤皇の志に思いをはせ、自らの勤皇の志を誓い、新時代の形成に身を投じていきました。

 

その幕末より水戸藩・尾張藩・薩摩藩などでも楠公の遺徳を偲び顕彰慰霊すべしの機運が高まっておりましたが、明治に至り明治天皇より楠公を顕彰する神社創祀の勅命が下され、いよいよその社を創る事になります。

 

明治二年、楠公御墓所、殉節地(自刃した場所)がある当地がその場所にふさわしいとなり、その二所を含む地域を境内地とする事が決定され、明治五年になり、楠公とその子小楠公・正行卿、並びに殉節に従った一族十六人と菊池武吉卿をご祭神とする湊川神社として祀られる事になります。

後に建武の新政の立役者御醍醐帝と新政と南朝に忠節を尽くした人物を祀る建武中興十五社の魁として、また国に殉じた人物を慰霊顕彰として祀るという意味では靖国神社や護国神社にも繋がるもので、神社の新しい祀り方という意味では大きな意味を持つ社であるともいわれています。

ともあれ、現在はそういう国家的な意義・意味を離れ、純粋に大楠公を崇敬する参拝者で溢れる神戸有数の大社という形であり、今後もそういう形であり続けると思います。

 

 

神社の社務所で神社の御朱印と大楠公墓所の御朱印、そして神戸七福神毘沙門天札所としての御朱印の三つが頂けるようです。

神戸七福神については、特に毘沙門天が祀られている訳ではなく、楠正成公を毘沙門天に見立てて七福神の一柱としており、自分の中で違和感があったので頂いておりません。(少し無理やり感が強すぎたので)

また、紺地の無地の御朱印帳の販売も行っており、他の神社よりも少しお安いような記憶があります。

現段階で御朱印帳に余裕があったことと、無地の汎用品の様だったので今回は購入しませんでした。

 

【社格等】 別格官幣社 建武中興十五社

【御祭神】 楠正成公

楠正行卿(小楠公・正成公実子) 楠正季卿(正成公御舎弟)以下殉節に従った一族16柱 菊池武吉(正成公殉節の際共にする)

今回頂いた御朱印です。

湊川神社 大楠公御墓所  

【所在地】 兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目1-1 →地図

【公式HP】http://www.minatogawajinja.or.jp/

記事記載神社:八宮神社(兵庫県神戸市中央区)・六宮神社合祀

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osoumen

Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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