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倉持戎大宮(兵庫県尼崎市)・尼崎戎神社

倉持戎大宮(くらもちえびすおおみや・尼崎戎神社、ちぢみさん)

貴布禰神社より北東に戻る事幾許か、阪神尼崎駅との中間点ほどの位置に見上げるような大きな朱の鳥居が聳え立つこの神社が見えてきます。

(兵庫県神社庁の地図では阪神電鉄の線路南側にあるように思えてたので櫻井神社から貴布禰神社に向かう途中で参拝するつもりだったのですが、貴布禰さんに着いてしまったので参拝後にUターンです。)

 

この付近、現在では神田中通という地名になっておりますが、別所村という村の一部であった様で、この別所という地名の起こりの諸説のうちの一つが、この神社に由来しているものという事なので、簡単に触れておきます。

菅原道真公が大宰府に左遷の折、この尼崎周辺の海に心奪われ、「此処は殊の外良き浦なり」という言葉を残し、尼崎の旧名である琴の浦という名前に成ったという事ですが、この際に海岸に鎮座していた当神社(旧社地 別所字内畑・現在の尼崎市西本町五丁目)をその中でも「別けもよき所」と称え、琴の浦別所という地名になったそうです。

諸説ある中の一つで、しかも傍流の説らしいのですが、神社のご紹介という事でこちらの説を推しておきます。

 

さて、神社の御由緒ですが、創建時代は詳らかではありませんが、伝承によると醍醐天皇の御世(885-930)とされているようです。

中世には西宮市の西宮戎神社(西宮神社)に対し、東宮本戎神社や戎大神宮を称し、西宮戎と社勢を争う様な堂々たる戎社であったと伝えられております。

ところが、南北朝以来数々の兵火に巻き込まれ、また災害に遭うに従って社勢が衰え、社地は分断や縮小を余儀なくされて目に見えるように縮んでいったようです。(故に別称のちぢみさん(縮みさん)成る名前が付いたようですが)

江戸時代も旧社地は同別所にあった寺町とも城下の中心からも離れた位置にあり、さほど振るわなかったようです。

ところが昭和に至り、戦中に立ち上がった遷座計画が終戦後に行われ、尼崎の商業の中心地に移り、また倉を持つ稀有な戎様であるという事もあり尼崎の街のシンボルの一つとしてその復興を支える社として大いに賑わい、阪神地域でも栄えた戎神社として見事に復し現在に至っております。

 

隣の市の戎総本社西宮神社とはまた違った雰囲気で、阪神電車から見える大きな朱の鳥居がシンボルの駅近くにある商業地のえべっさんです。

現在尼崎駅は近鉄・阪神が乗り入れ、奈良-神戸三宮間の直通電車が通り、旧来の大阪駅-三宮-姫路間の路線と合わせて非常に交通の便が良くなっていく事に成ると思います。

当然移動の際に利用する事も多くなるでしょうし、なんというか素通りできない神社ではあります。

 

【社格】 村社

【御祭神】八重事代主大神 大国主之大神 誉田別大神 猿田彦大神

今回頂いた御朱印です。

尼崎戎神社  

【所在地】兵庫県尼崎市神田中通3-28 →地図

【公式HP】http://www.amaebisu.com/index.html

記事記載神社:櫻井神社(兵庫県尼崎市)貴布禰神社(兵庫県尼崎市)・西本町貴布禰神社

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osoumen

Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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