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櫻井神社(兵庫県尼崎市)

櫻井神社(さくらいじんじゃ)

尼崎の港湾部や工業地帯は一時後々の楽しみとして、とりあえず西の方向に向かう事とし、大物主神社より西にある南城内に鎮座する櫻井神社に向かいます。

一度国道43号線に出て北側を歩いていると、敷地内に尼崎城の模型を設置した明城小学校が、そして尼崎城のお堀としても利用されていた床下川と至りますが、目的地の櫻井神社は床下川東側に位置します。

 

この南城内の地名が示すとおり、この地は今は無き尼崎城の城内に当たる場所であり、北側の北城内と合わせて、尼崎城のおおよその敷地であったと思われます。

こういう時は上空から見た空撮写真というのは便利なもので、床下川と共に自然の堀として利用された大物川の川筋の跡等がくっきりと出てきますが、江戸時代に西国大名からの侵攻を防ぐ要所の一つとして建造された海上に浮かぶようにも見える尼崎城の往時の姿が思い浮かんでくるようです。

 

さて、この櫻井神社ですが、明治15年に廃城によって破却された尼崎城跡の敷地内に旧家臣の有志により建立されたのがその始まりとなります。

尼崎城を最後に領した櫻井松平家。

その最後の藩主たる櫻井忠興(維新後松平姓より改)、この方はかなりの人格者であったようで、版籍奉還後に三輪大社の宮司をされていたようですが、西南戦争の惨状を聞くやその職を辞し、設立間もない「博愛社」(日本赤十字社の前身)に身を投じ委員代表として現地九州で救護の任に当たる等、その活動に力を注いでおります。

そのような事もあったのでしょうか、この櫻井神社には櫻井松平家初代信定公並びに十六代忠興公までの歴代藩主の方々をお祀りしております。

場所や由縁より尼崎城並びにその旧城下町の鎮守社となるのでしょう。

 

ところでこの神社、今は無き尼崎城所縁の物が無造作に置かれてたりします。

本丸瓦に使われてたといわれる紋入りの瓦や、堀に使われていた床下川に掛かっていた橋の柱石等…

社務所自体が尼崎城跡の案内のような事をやられていて、簡単なパンフレットが200円で販売されてたりします(御朱印代300円と合わせて丁度500円とキリがいいので買いました)。

尼崎藩の資料の多くは尼崎信用組合が運営している博物館(無料らしいです)で公開されているらしいのですが、こことその周辺も少し回ってみては如何でしょうか。(城跡といっても殆ど無いに等しいですが)

 

あと、こちらの末社のお稲荷さんは伏見稲荷からの勧請ではなく東大阪市瓢箪山にある瓢箪山稲荷からの勧請です。

理由も伺ったのですが、あえてここでは書かない事にします。

 

【社格】 郷社

【御祭神】初代櫻井松平信定公より十六代忠興公までの歴代城主

今回頂いた御朱印です。

櫻井神社  

【所在地】兵庫県尼崎市大物町2丁目7-6 →地図

記事中記事:大物主神社(兵庫県尼崎市)

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神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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