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椋橋総社(大阪府豊中市)

椋橋総社(くらはしそうしゃ)

香具波志神社の北側より神崎川を渡り豊中市に入り一番初めに辿り着く神社がこの椋橋総社になります。

香具波志神社よりほぼ北に当たりますが、丁度旧猪名川と阪急神戸線の交差する場所の南東位置に当ります。

 

この神社の位置する庄本という地は庄の中心という意味で、椋橋連(くらはしのむらじ)の勢力地である椋橋庄の中心位置という意味であるそうです。

ちなみにこの椋橋庄は神社西側を流れる猪名川を境に東西に分かれ、東椋橋庄、西椋橋庄の二つに分割されるわけですが、西は阪急園田駅の近辺、南東部は神崎川を越え三津屋の方も含む広大な地域だったようです。

 

その東西椋橋庄の総社として鎮座しているのがこのお社で、神代の時代に素盞嗚尊が高天原より鯉に乗ってこの神崎川を経て当地に降臨したという伝承を元に崇神7年(紀元前91年)に伊香我色平命(椋橋連の祖)によって祀られたという社伝が残っております。

(この社伝が正しく伝わっているとすると近在屈指の古社の一つですね)

また摂津風土記等の記録によると、神功皇后の三韓征伐(新羅征伐)の際にはこの地に神々を集め、征伐の成功を祈り出立したという物も残っているようです。

そのような神社ですが、延喜式収載の時代には一時社勢が衰えていたのでしょうか、残念ながら収載には及んでおりません。

 

次に歴史の表舞台に現れるのは、承久の乱直前、時の上皇である後鳥羽上皇の寵姫・長江局の荘園としてこの椋橋庄が与えられ、鎌倉政権側の当地の地頭と衝突、上皇より鎌倉政権への地頭解任要求に到ります。

地頭解任要求は鎌倉側より突っぱねられ、怒り心頭の後鳥羽上皇が院宣を発し、承久の乱に繋がっていきます。

この事件の中心は庄の中心のこの椋橋総社の近在になり、末社亀菊天満宮は長江局にちなむ社と成っております。(亀菊とは長江局が白拍子であった頃の名前です)

後、荒木村重の反乱の際に兵火に遭い社殿宝物の大部分を焼失・・・と日本史上大きなトピックスの際に名脇役として顔を見せる、歴史好きなら少しだけ興味が沸く神社です。

以降、往古の繁栄に比べるとささやかには成っているようですが、尚椋橋庄の総社であった面影を残す古社として続いております。

 

御朱印を戴くにあたり、女性の神職の方とお話させて頂きましたが、こちら昨今後朱印を戴きに来られる方が増えているらしいです。

ただ、椋橋が読めなかったり(椋…”くら”とも”むく”とも読めますがこちらは”くら”です)や総社の意味が判らずに質問されたりする方がいらっしゃるようで、こちらで御朱印を授与される際に人によっては振り仮名を振るというあまり有り難くないサービスが付いてくる場合があるということですので、社名を間違えたりしないようにお願いします。

 

【社格】 不明

【御祭神】 素盞嗚尊 神功皇后

今回頂いた御朱印です。

椋橋総社

【所在地】 大阪府豊中市庄本町1-2-4 →地図

 

記事中記載神社 :香具波志神社(大阪府大阪市淀川区)

参考記事:戦の傷跡

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osoumen

Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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