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戦の傷跡

同十四日、惟住、蜂屋、武藤、氏家、伊賀、永岡等、伊丹表へ相働處に、城中より足軽を出でしたりけるを、武藤宗右衛門が手の者共追込、頸二十計討捕、あまの郷へ持参す。右の勢ども伊丹へ推詰放火して、刀根山に陣取ったり。

(信長公記 巻第十一、荒木謀叛事より)

 

天正6年(1578年)、荒木村重の謀叛が起こった際の戦いの一節です。

十四日というのは同年11月14日。

荒木方に加担した茨木城に対する付城として太田郷の砦を築き、茨木城に対する押さえが万全になった事でその砦の普請に携わっていた諸将を伊丹方面に繰り出した、いわば伊丹城攻めの緒戦の描写であります。

(惟住:丹羽長秀、蜂屋:蜂屋頼隆、武藤:武藤舜秀、氏家:氏家卜全、伊賀:安藤守就、永岡:細川藤孝)

戦国時代好きなら思わずにやりとする様な、織田家の諸将の名が見えますが、今回の話はそこがメインではなく、「伊丹へ推詰放火して、刀根山に陣取ったり。」の部分です。

 

問題提起で、今私が大阪府豊中市の神社をお参りしているのを気付かれた方が多いかと思いますが、この短い文章がこの地に大きく関ってるんですね。

殆どの神社で、荒木氏謀叛に際して放火に遭い社殿消失という内容が表現が違えども御由緒書きに書いてあったりします。

手元にあった信長公記では放火に関しての記述はざっと見た感じこれだけでしたが、この日以外にも焼き討ちがあったかもしれませんし、刀根山に陣を敷いた織田軍に対して伊丹城の荒木側からも放火をしたのかもしれません。

 

どちらにせよ、この地の寺社はこの戦の際に多くの物を消失、由来・古文書に関してもこの際に失われた所が多いようです。

今まで参拝した中でここまで広範囲に一時に被害に遭ったものが無かったので印象に残り、一つの記事にしてみました。

 

もし、豊中市内の神社をお参りする際にはこの辺りの事も少し思い出して頂ければ、単に参拝するだけではなく違う印象も持てるのではないでしょうか。

 

本日はこのあたりで。

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神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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