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敏馬神社(兵庫県神戸市灘区)

敏馬神社(みぬめじんじゃ)

王子神社よりまっすぐ南に、この日の目的の一つでもある式内の古社である敏馬神社に向かいます。

 

この神社の鎮座する周辺は奈良時代には敏馬の浦や敏浦の泊等といわれた場所で、岬の突端にあったこの神社の両脇の入り江を含めて港として利用されていたようです。

延喜式によると、「新羅人が来朝すると、生田神社で作った酒をこの地で賜る」とあり、海外から来た人間を畿内に入れる際の禊の地として機能していたのではないかと思われるある種海上の関だったのではないでしょうか。

 

この神社の旧記は慶長年間の兵火で焼失しておりますが、幸いにして摂津風土記等にその記録が残っており「美奴売(みぬめ)とは神の名で、神功皇后が新羅出兵の際に神前松原(椋橋庄神前松原=椋橋総社(豊中市)とも尼崎市神埼とも)に神集いされた処、能勢の美奴売山の神様がこられ、その山の杉を用いて船を造り新羅に行かれるなら、幸いするところありと説かれた。その通にする事で成功をおさめ、その帰路に船が進まなかったので、占いにてその地に美奴売の神を祀り、船も献上した」という類の内容だそうですが、これが敏馬神社の縁起であるとの事です。

三韓征伐に関する神功皇后関係の神社の由緒で定まった形式ですが、殊、延喜式にも残る古社の事ですから、他の神社の由緒が混じりこんだという話ではないと思います。

さて、美奴売の神ですが、「みぬめ」は弥都波能売神の転じた名だと言われており、当初はみずはのめの神の社だったと言われておりますが、江戸期には現在の御祭神と入れ替わっていたようです。

末社に水神社として弥都波能売神が残っており、また非常に面白い事ながら、この水神社には奥宮が存在しているという構造をとっており、規模を小さくされながらも昔の形を留め、そこに現御祭神の社が本殿として乗っかっているような気がします。

当地周辺の岩屋・味泥、大石の産土神として現在も崇敬を集めております。

 

国道43号線より神社に至ると急な石段を経て本殿のある場所に至ります。

岬の突端の急峻な場所にこの神社が鎮座していたのかな等と、いろいろ想像が膨らむ場所です。(43号線などが邪魔ではありますが)

みぬまを題材に多くの歌人が歌を詠んでいる様で、今は無き景勝であった時代の事等もその辺りで浮かんでくるのではないでしょうか(歌碑がいくつか設置してありますので、参拝の際にご覧下さい。)

 

【社格等】 延喜式式内社 県社

【御祭神】 素盞嗚尊 天照皇大神 熊野座大神

今回頂いた御朱印です。

敏馬神社  

【所在地】 兵庫県神戸市灘区岩屋中町4-1-8 →地図

記事記載神社:王子神社(兵庫県神戸市灘区)椋橋総社(大阪府豊中市)

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王子神社(兵庫県神戸市灘区)

王子神社(おうじじんじゃ)

兵庫県護国神社より西に向かって歩みを進めます。

といっても六甲山系の山裾に沿うと方位的には南西方向という所でしょうか。

途中、五毛天神とも称される河内国魂神社(wikipedia辺りを見ると、出所は書かれてませんが、ご祭神関係や御影という地名から汎河内氏の氏神である延喜式に記載された河内国魂神社は綱敷天満神社であったかもという説もあるそうですね…)を経て、原田の森の傍に鎮座する王子神社に辿りつきます。

 

この周辺、旧名は原田村といい、駅名等から王子という名前が先行しますが、王子という地名自体はこの王子神社が鎮座していた土地の字名が元になっているようです。

”原田の森”という名称が残っているように、この辺りは昼尚暗き樹木生い茂る森(神社境内の広大な神域を指したらしいですが)を擁し、源平から南北朝に至るまでの戦では、この地域の陣を布く戦略戦術上の重要な場所として利用されたりしていたようです。

 

この社の歴史を見るに、現在の王子神社の元になった社と、明治期に合祀された神社である高林神社の二本立てでご紹介した方が良いかも知れません。

王子神社…原田神社もしくは健御名方神社等ともいわれていた社は、鎌倉時代に遡ります。

鎌倉時代初期に信州諏訪より一族を伴い松本忠一公なる方が移り住み土着豪族化するわけですが、健御名方尊の故事と自らの氏神を祀るという形で元久元年(1204)に諏訪大社より健御名方を勧請し、この地の鎮守社として始まります。

後、京都を中心とする熊野信仰の高まりと共に、この地にもその御分霊を勧請する機運が興り、熊野若一王子神を当神社に勧請合祀する事となります。

故、この社はこの後、王子権現社とも称され、社の地の字名も原田字王子免と呼ばれることに成ります。

後、明治に至り、社号を建御名方尊神社とし、神号を直接口にするのを憚り、原田神社と呼ばれておりました。

 

一方、高林神社の方ですが、その創建由緒はしかと伝わっていないようですが、三大実録の貞観18年七月の条に於いて、「十五日、摂津国、正六位の上、高林神社に従五位の下を授く」なるものが残っており、所謂国史見在社の古社として続いてきた社であったようです。

明治39年、同じ原田村に鎮座していた健御名方尊神社に合祀され廃絶しております。

戦後、健御名方尊神社は王子神社と社号を改め現在に至っております。

 

創建時点では一万三千坪を誇る広大な境内地を神域とする立派な鎮守の森を要する大社であったように伺っておりますが、特に明治以降、行政との兼ね合い等でその神域を割き、また数度の遷座を重ね今はその面影が見受けられない位の小さな社になっております。

恐らく北側に見渡す王子公園のかなりの部分が元々の神社の神域だったのだろうと思うと、少し寂しい思いもします。

 

【社格等】 不詳 (高林神社・合祀)国史見在社

【御祭神】 建御名方神 若一王子神 大市比売神

八幡大神 祇園大神 大国主大神 事代主大神 須佐嗚男大神 猿田彦大神

今回頂いた御朱印です。

王子神社  

【所在地】 兵庫県神戸市灘区原田通3-8-43 →地図

記事記載神社:兵庫県神戸護国神社(兵庫県神戸市灘区)綱敷天満神社(兵庫県神戸市東灘区)


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osoumen

Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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