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綱敷天満神社(兵庫県神戸市東灘区)

綱敷天満神社(つなしきてんまんじんじゃ・御影の天神様)

菟原住吉の本住吉神社よりまた西に向かい旧御影村に戻っていきます。

町名変更により味も素っ気もない御影一丁目と成ってしまっている旧・御影町石屋字八色岡の地域にこの社は鎮座しております。

地名にはその土地の来歴なども含まれていたりもするので、こういう素っ気のないものにする変更ってのはどんなものかな等と思ってしまいます。(古くからのものを軽視するのは最近の風潮なのでしょうか)

 

さて、この御影の石屋界隈は往古は菟原郡覚美郷石屋と呼ばれており、覚美郷とは「かがみのさと」と呼ばれ、鏡作部(かがみつくりべ)が居たと推測されているようです。

また、石屋は花崗岩の御影石の産地であるこの御影周辺で石材の加工を行っていた石工村の名残とも言われています。(社伝には四天王寺建立とこの石屋村に関する話も残っています)

鏡=青銅の加工に石材の加工と、古代から中世にかけて先進的な職工集団の居た地域だったと思われます。

 

この社は「茨城国造となられた天道根命が祝詞して、竜神岡の天神山に祖神・天穂日命と別雷神を斎き祀られたのに始まり、天津彦根命に伝えられ子孫代々鎮祭す」となっております。

(天津彦根命=茨城国造家の祖神、天道根命=紀伊国造家の祖神と自分の読解力では時系列や関係が整理しきれないので原文ままにしておきます)

ちなみに竜神岡とは六甲山系の御影周辺を示し、天神山とは現在の御影山手にあり現在は残っておりませんがこの社の旧地であったようです。

また、用命帝の御世、四天王寺建立の祭に石を切り出されたところ見事な鉱石が出たので聖徳太子が自ら倉稲御魂と刻み雷神のお社に合祀されたとなっており、用命天皇の時代にはこの社が既に存在していた事が伺えます。

 

菅原道真公が存命中にもこの社は知られており、大宰府左遷の15年前、公が42歳の仁和2年(886)に讃岐守として任国に下向する際に参拝した記録が残っており、後の左遷の際にもこの社に立ち寄り、直筆の法華経が奉納されております。

このような来歴から、後に菅公の縁のお社として綱敷天満神社と社号を改め、現在に続いております。

 

こちらの神社に参拝させて頂いた際にまず思ったのが、綱敷の名前が付いている割に陸の方だなという印象でした。(もしかすると旧社地の天神山に鎮座していた時代かもしれないのでもっと山手になるかもしれません)

後々調べてみると、御旅社が当時海岸沿いだった国道43号線の近辺にあり、舟繋ぎの松があるようです(初代は失われたので二代目の松が植えてあるようですが)

そういう訳である種次回参拝の目的が出来てしまいました。

この神社は800年以上続いている特殊神事等もあり、立地が良ければ氏子以外からも参拝者が絶えない様なバックボーンもあり、その辺りも惜しい気がします。

更にいうと、近代に手放させられ住宅地として開発されてしまった旧社地の天神山辺り(御影山手一帯)が残っていれば、村の鎮守的な現状と異なり、かなり大きな社として扱われていたのではないかと思います。

この地域は興味深い社が多いです。

 

【社格等】 不詳

【御祭神】 菅原道真大神 別雷大神 倉稲魂大神 天穂日命

今回頂いた御朱印です。

綱敷天満神社(御影)

【所在地】 兵庫県神戸市東灘区御影一丁目22番25号 →地図

記事記載神社:本住吉神社(兵庫県神戸市東灘区)

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本住吉神社(兵庫県神戸市東灘区)

本住吉神社(もとすみよしじんじゃ・元住吉神社)

西に向かう心を少し抑えて、弓弦羽神社より南東に本住吉神社に向かいます。

五月に参拝した大阪市西区の茨住吉神社が勧請したお社でもあり、本(もしくは元)住吉の社名を持ち、住吉大社の元社を主張しているお社でありまして、菟原郡住吉郷の総鎮守という事で少しの回り道を取った次第です。

 

ここ住吉もそうですが、阪神地域は明治以降工業化の進んでいった大阪から逃れるような形で邸宅を構える実業家等を対象とした住宅地として整備された土地で、早期に鉄道の駅が出来た住吉もその便利さと当時の山と海の織り成す環境から持て囃されていたそうです。(工業化による煤煙・騒音で大阪より逃れてきた方達の為の街ですが、後になって沿岸部に豊かな水資源と海岸を目当てに工業化の波が押し寄せてきたのは皮肉にも思えますが)

 

このお社は神功皇后の三韓征伐の帰路、船が先に進まなかった際に占いをし、廣田・生田・長田の三社を祀ると共に、住吉大神の神託で「大津渟名倉長狭」の地に大神を祀るよう受け、この住吉の地にお祀りしたとなっております。

よって日本書紀により神功皇后元年(201)がこの神社の創祀という形であるという風に伝わっているわけです。

「大津渟名倉長狭」がこの菟原の住吉なのか住之江の住吉なのかについては、国学者本居宣長はこの菟原の住吉を支持し、また宣長以前にもこちらを本住吉として扱った江戸初期の文書もあり、少なくともその時代以前よりこちらを住吉大社の元社だという説があったように見受けられます。

今となっては伝承の真偽について確かめようもありませんが、廣田生田長田の三社がこの神戸周辺に偏っている事もあり、その様な可能性があってもいいのじゃないかと思います。(但し、江戸期より遡って平安期の延喜式にはこの社が未収載ですので、些か部が悪いとは思いますが)

現在はこの地域の名社として、近在からの崇敬を集めております。

 

規模としては住吉大社に及びませんが、六甲の山中に奥宮があるらしい(未参拝ですが)など、本住吉を名乗る風格は整えてそうです。

帰って調べ物をしてから色々出てくるとまた参拝したくなってきます。

ちなみに今回は折角なので住吉大社の御朱印帳を使わせて頂きました。

どちらが元社であったとしても、こちらの御朱印はこの御朱印帳にという、そういう気がしましたもので。

(大社の御旅所の宿院頓宮用の場所は空けさせて頂きましたけど)

 

【社格等】 県社

【御祭神】 住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、息長足姫命(神功皇后)

今回頂いた御朱印です。

本住吉神社  

【所在地】 兵庫県神戸市東灘区住吉宮町7-1-2 →地図

【公式HP】 http://www.kcc.zaq.ne.jp/motosumiyosi/home/index.htm

(デッドリンクです、下記にサルベージしたものがありますので、ご利用下さい)

http://web.archive.org/web/20070903122745/http://www.kcc.zaq.ne.jp/motosumiyosi/home/index.htm

記事記載神社:弓弦羽神社(兵庫県神戸市東灘区)茨住吉神社(大阪府大阪市西区)住吉大社(大阪府大阪市住吉区)


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Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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