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芦屋神社(兵庫県芦屋市)

芦屋神社(あしやじんじゃ)

打出天神社より阿保天神社を経て北に。

芦屋市を構成している旧四村の一つ、芦屋村の鎮守である芦屋神社に向かいます。

阪急の北側にある東芦屋町に鎮座し、広い敷地の邸宅がぽつぽつとあるような場所になっていたりします。

 

歴史を紐解くと、どうやら旧打出村と旧芦屋村は共に天領でもあり隣村同士でライバル関係にあったようで、合併に際しても四村の村名を避け精道村とした辺りにも二村の力関係の拮抗具合が見て取れる様に思えます。(結局市政移行に際して芦屋村に軍配が上がったようですが、この辺りにもどうやら物語があるようです)

 

さて、芦屋神社の来歴ですが、創建年代は不詳になっております。

元々は六甲山にある磐座を祀った社(現六甲カンツリーハウス内に現存)があまりに不便であったので、現在地に下の宮として社を設けたのがその創祀になるようです。

(ハイキング用の登山道が整備された現在でも阪急の芦屋川駅より山頂付近まで徒歩で3時間は掛かりますから、当時だと参拝に往復で一日掛ける様な状況だったと思われます)

この元社といわれる神社ですが、出雲国譲りの故事で出雲に派遣される天穂日命がこの磐座に降臨された後、そちらより出雲に向かわれたという伝承が残っております。

当然、この神社や元社は天穂日命を祀っており、長らく天神社と称されておりましたが、明治の大合祀で旧芦屋村内の神社を全て合祀し、また旧打出村に打出・阿保・岩園の三社の菅公を祀る天神社がある為に、区別する意味もあり芦屋神社と改名しております。

旧芦屋村唯一のお社として、近在の尊崇を集めております。

 

度々触れておりますが、この六甲山中にはいくつかの遺跡が残っており(境内にも古墳があり、六甲山中にあった水神を遷座し祀っておりますが)、古代に高地側に居住していたグループの集落があったようです。

芦屋川を隔てて西側にも耕地にも拘らず稲作を行っていた痕跡も残っており、比較的高い文化レベルを保っていたのではないかとも思われます。

旧海岸の遺跡とこの高地の遺跡の間で距離が開いている様なのも興味深いところで、こちらのお相手して頂いた神職さんももしかすると別グループかもしれない等と仰ってました。

この近辺から六甲に登るコースは比較的登り慣れた初心者用のコースなので、ここをお参りしてそういう場所や六甲の磐座等を訪ね歩くのも良いのかもしれません。

いずれ有馬の温泉神社等はこちらから山越えで参拝するつもりでしたので、温泉以外にも楽しみが増えそうなので、楽しみにしております。

 

【社格】 村社

【御祭神】天穂日命

天照大神 豊受大神 木花開耶姫命 猿田彦神 須佐之男神 彌都波能売神 大山祇命 大山咋命 大巳貴命 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命 八衢比古命 八衢比売命 久那度命 伊邪那美命 国常立命 国狭土命

今回頂いた御朱印です。

芦屋神社  

【所在地】兵庫県芦屋市東芦屋町20-3 →地図

【公式HP】http://www.ashiyajinja.or.jp/

記事記載神社:打出天神社(兵庫県芦屋市)

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打出天神社(兵庫県芦屋市)

打出天神社(うちでてんじんしゃ)

西宮の夙川・森具の須佐之男神社さんの方から更に西に歩みを向けてみます。

関西方面では高級住宅地のある土地として有名な芦屋市に入っていきます。

(”芦屋”自体が半ばブランドされてますが、お金持ちだけが住んでる地域というと山の方と海の方に偏っているので、阪神線とJR・阪急の間は至って普通なんですけどね。)

というわけで、打出の天神社です。

須佐之男神社の鎮座する郷免の隣町に当たる場所で、ほぼ二号線沿いに西に向かったところにある春日町に鎮座しています。

 

春日町という町名よりも、社号についている打出の方が名が通ってる地名ですので、こちらの方を書いたほうが面白いのかなと、そう思ってしまう位打出は話題がたくさんありますね。

ちなみに子供の頃に読んだ童話の「打ち出の小槌」なんかも、この地の伝説から来てたりします。

打出という地名の由来は幾説かあるようですが、京より西国街道を下って行く行程で初めて海岸に”打ち出る”土地なので打出であるというものや、神功皇后が三韓征伐に打ち出でた場所というものなどです。

西国街道は森具の須佐之男神社さんの際に少し話しましたが、元々は広田神社からこの地辺りに直行しており、西宮神社付近の西宮宿を通らないルートだったそうなので、もし打出が街道由来で名付けられていたとすれば、律令時代の大路の頃まで遡るかもしれません。

まあこの辺りは古墳群でもあり旧石器時代から古墳時代までの遺跡や遺物が出ている古代の先進地(芦屋神社の方が仰られていた海側のグループの根拠地の一つかもしれません)だったので、元々かなり昔まで遡れてもおかしくない土地ではあります。

 

長々しく書いてもあれなので、残りはキーワードっぽいのだけ書いておきますが、阿保親王・在原業平公に縁のある土地で、建武の新政から南北朝期に亘っていくつかの合戦の場所となり、特に摂津豊島河原の合戦では、楠正成公が迂回し背後から足利軍を衝いて勝ち戦に導いた場所もこの地であるようです。

 

さて、この神社の来歴ですが、戦災等があり文書等が残っておらず、不詳となっております。

摂津名所図会の七巻には収載されており、確実に遡れるのは出版年の1796までという事ですが、室町時代には北野神社領蘆屋荘が成立しているので、少なくともこの時代にまでは遡れると思われております。

以降、明治に周囲の社を合祀し10柱のご祭神を御祀りする大所帯になっておりますが、打出一帯の鎮守として尊崇を集めております。

 

周囲を取り囲むように阿保親王廟や阿保親王が黄金を埋蔵された伝承の残っている金津山古墳、菅原道真公・阿保親王・在原業平公を祀る阿保天神社(打出天神兼務社)等、阿保親王に縁のあるものが存在しております。

伊勢物語・源氏物語等のモデルになった在原業平公のルーツを辿るという意味でも面白い土地ではないでしょうか。

 

【社格】 村社

【御祭神】菅原道真公

天照大神 事代主命 蛭子神 素盞嗚尊 大物主命 天児屋根命 仁徳天皇 応神天皇 市杵島姫命

今回頂いた御朱印です。

打出天神社  

【所在地】兵庫県芦屋市春日町1-21 →地図

記事記載神社須佐之男神社(兵庫県西宮市),廣田神社(兵庫県西宮市),西宮神社(兵庫県西宮市)・西宮えびす神社


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osoumen

Author:osoumen
神社の御朱印集めのつもりが、いつの間にか徒歩での数珠繋ぎ巡拝の様相に。
最近旧道の曲がりくねった道を見るとどうもわくわくしてきます。

摂津国の神社中心の御朱印五目収集参拝中。

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